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長野県栄村に移住して4年目。自給自足の農業をしながら、自然によりそって暮らす生活をつづります。 体験プログラム「ワンライフジャパン」もやってます。


by lalalar
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カタチをこえて

私たちの周りにあるほとんどのものに名前がある。

名前のあるものには、だいたい大体、
定義だったり、使い方のようなものが決まっている。

例えば、窓枠。
窓にガラスをはめ込むための額縁のようなもの。

つい最近、近所で古い民家の取り壊しがあった。
たくさんの木製の窓枠が捨てられたのを拾ってきた。
窓として使うのではない。
それを写真フレームとして使う予定。

写真フレームとして使うこと自体はそれほど斬新ではないし、
そういう使い方をしている人はたくさんいるだろう。
でも、そういう「常識」に縛られない発想が
自分のなかから出てくるかどうか、それがポイントだと思う。



人は有形・無形のモノに名前をつけることで
「認識のしかた」を定めていく。
そして、定められた「認識のしかた」にそって認知し、考え、
単純化して理解する。
そうでもしないと今のような複雑な生活はなりたたない。

でも普段わたしたちが使っている「認識のしかた」は
モノの全てを表さないということを
ときどき立ち止まって思いだしてみたい。
モノには「認識のしかた」以上の存在がそこにある。

心を大きく開いて全てを受け止めてみたとき、
窓枠を窓枠という「認識のしかた」つまりカタチを越えて眺めたとき、
今までに見えなかった色や形、材質が浮き出て見えてくる。
さらに、それを使っていた人たちの生活や思い、
とりまく景色、物音、においなど
いろいろなものが心に浮かんでくる。


私たちの中に潜んでいる感じる力をつかってみよう。

カタチをこえた向こう側を感じてみよう。

そこには、常識や文化では語られることのない自分自身の世界がある。

常識や文化は、最大公約数の「認識のしかた」であって、
決して一人一人の心を表すものではない。

だから、

常識をこえるとき、私たちは自由と解放を感じるのだと思う。
by lalalar | 2008-06-12 10:39 | 雑感いろいろ