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長野県栄村に移住して4年目。自給自足の農業をしながら、自然によりそって暮らす生活をつづります。 体験プログラム「ワンライフジャパン」もやってます。


by lalalar
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食欲 vs 性欲

暮らしを構成する要素としてよく「衣・食・住」があげられる。
これらの組み合わせによって、その人らしい暮らしぶりや
ライフスタイルが構成されているということのようです。

では、3つの要素のなかで、一番頻繁に考えていることはどれでしょう?

おそらくほとんどの人が「食」だと思います。
もちろん私は疑う余地もなく、そうです。

朝昼晩、そして間食。
なにを食べようかな。誰と食べようかな。
どこで食べようかな。どんなレストランがあるかな。
食ほど、私たちが四六時中考えてやまないものはないのでは?

食についやす時間とエネルギーは本当にすごい。
それなのに、ちっとも嫌な気分にならないのはなぜだろう?
どうして辟易しないんだろう?
とっても不思議な気がする。
それは食が本能と直結しているからなのかな。

もし愛について食と同じくらい考えなければならなかったら?

もし死について食と同じくらい考えなければならなかったら?

きっと私は狂ってしまう。
食は人間の知性をぶっとばして、本能とつよく結びついている。


もう一つの不思議。
本能である食欲を発現しても非難されることはないのに、
もう一つの本能・性欲をおおっぴらにすることはタブー視されている。
人間が動物であることを考えれば
種の保存という至上命題にとってどちらも同じくらい大切な本能なのに。
食は社会によって公認されたけれど、性は陰に追いやられた。
どっちも大差ないと思うんだけど。

むしろ食の方がずっと本能的かもしれない。
遭難して死ぬ間際にしたいことは、セックスではなく食事だと思う。
少なくとも私の場合は。


中国の文学者の林語堂が面白いことを言っている。

どんな精神的な人間でも四十五時間以上食べ物のことを忘れる事はできぬ。数時間ごとに間違いなく脳裏に起こる不変不動のくりかえしは「いつ食べようか」ということである。

この世の中で本当に喜びを与えてくれるものはいくつあろうかと指折り数えてみると、決まって最初に指を折らねばならぬものは食べ物であることに気づく。
だから、家でどんなものを食べているかを見ることは、人の賢愚を知る確実なテストである。


食について自分の本能をリアルに感じられて、不思議な感覚になったのが
なんだか面白かった。
by lalalar | 2008-03-05 00:22 | 雑感いろいろ

自分の「何か」を探す旅

DSC_4515 copy.jpg

10日ほど前の秋山郷・鳥甲山(とりかぶとさん)の写真です。
まさしく絶景!
雪をいただく峰の鋭さが青空の背景に照り映えています。
冬の山は荒々しく人を寄せ付けようとしないけれど、
どうしても惹かれてしまう理由の一つがその美しさだと思います。

この写真は、
私が夫と主宰しているOne Life Japan という環境学習事業のひとつである
雪国ツアーの参加者と秋山郷に出かけたときにとりました。

昨年10月に始めたばかりの事業ですが、
いろいろな方がOneLifeJapanのツアーに参加してくださっていますが、
これまでのツアー参加者の方たちに一つの共通点があるような気がします。

それは、どの人も、今の暮らしに何かひっかかるものを感じていて、
それをどうにかしたいという思いをもっている
ということ。

◇ ◇ ◇

ある参加者の方を紹介したいと思います。

この方は、国際協力の分野の第一線で活躍するキャリアパーソンです。
責任のある仕事を精力的にこなすかたわら、社会的な活動にも積極的に
かかわっていらっしゃいます。

その一方で、自分のなかに、今の仕事とは異なる分野で
自分の人生を賭してもよい「何か」があることに気づいていらっしゃる。
ただそれが具体的な形になかなか結び付かないのです・・・とおっしゃるのを聞いて、
この方は自分の「生き方の可能性」を見つけようとしているのかな、と思いました。

誰にもたくさんの生き方の可能性があると思います。
でも多くの場合、それに気がつかず、
目に見えているはっきりしたものの中で選択していることが多いのではないでしょうか。

例えば、弁護士、医者、会計士、シェフ、教師、看護師、企業家などなど。
どれもやりがいのある職業であることに疑いの余地はありませんが、
人生を通じて追求したいライフワークを考えるとき
言葉ではっきりしと表現できて、誰もが理解できるような「形」を意識すると、
自分の信念・価値観・情熱を形に引き寄せあてはめようとするので
本質を見失ってしまうことがあると思います。

A(情熱)⇒B(形) だけれども
A(情熱)⇔B(形)ではない関係。

私自身はそうでした。
自分の中にあったはずのいろいろな可能性の多くを真剣に検討することなく、
経済的な安定や社会的評価の良し悪しという外在的理由で仕事を決めていました。
自分の真の心の声に向き合っていませんでした。

でもだんだん経済的・社会的安定などでは満たされないものが大きくなり、
心に穴があいたような、という表現が当てはまるように
ごまかしきれない空虚な感覚が消えなくなりました。

それを埋めるものは何か?
手探りでいろなことに挑戦し、いろんな仕事をしてみたり
人に会ったり、ボランティアをしたり何でもやりました。
その過程で私が気づいたことは、
どうやら私の「何か」はこの見向きもしなかった可能性の中にあるということでした。

今もそれが具体的に100%クリアな誰にでもわかるような
はっきりした形では表現できませんが、
不思議なことに方向性は間違っていないという確信があります。
自分の選んだ生き方に確信と情熱を感じられる今は、
本当に毎日が充実していて幸せです。

都会で忙しく暮らしていると、落ち着いて自分と向き合ったり、
自分をとりまく環境についてじっくり考えるチャンスをみつけるのは
とても大変だと思います。

そんなときは、非日常の中に身を置いて、普段会わないような人にあったり
新しい経験をしてみる。いつもとは違う視点から周りや自分を眺めてみる。
これを繰り返す中で、いろいろな可能性が見えるようになってくると思います。
生き方の可能性の発見と、可能性の実現のお手伝いをしたい――これが
私と夫がOneLifeJapanで実現したい究極の目標でもあります。

そして、私たちが移住してきた栄村には
これを可能にする潜在力があふれていると思います。


↓夕暮れ時の鳥甲山。言葉はいりませんね。
Untitled-1.jpg
by lalalar | 2008-03-04 00:46 | 雑感いろいろ