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長野県栄村に移住して4年目。自給自足の農業をしながら、自然によりそって暮らす生活をつづります。 体験プログラム「ワンライフジャパン」もやってます。


by lalalar
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<   2008年 05月 ( 8 )   > この月の画像一覧

ポジティブな我慢

ポジティブな我慢はすればするほど幸せになれると思う。
これって矛盾してる?

そうかもしれない。

「我慢」の辞書的意味は、
1)耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱。
2)我意を張ること。また、そのさま。強情。

なるほど。
手ぬぐいを噛みしめて涙ながらに耐え忍ぶ、とか
辛いのに強がって校舎の裏ですすり泣いたり、とか。
ネガティブな意味があるだけでなく、
ぱっと頭にうかぶイメージ図まで苦渋に満ちて、重苦しい。

でも、ポジティブな我慢っていうものもあるんじゃないだろうか。


例えば、夫と私は普段はヴィーガンベジタリアン(完全菜食主義)で
肉、魚、乳製品、卵を一切とらない。
だけど、友人や家族と出かける時は
みんなと一緒に肉も魚もおいしくいただいている。
そんなポジティブな我慢はどうだろう。

普段ベジタリアンであることは決して辛い我慢ではない。
今までに気付かなかった野菜の多様でやさしい旨味(うまみ)の世界を知ることができ、心も体もハッピーで、
楽しみながら選択的にやっている。だから長続きもする。

野菜の優しい旨味になれているところに、
ときどき肉や魚の強烈なうまみを経験すると
びっくりするくらいおいしくて、どんな食事でも
人一倍おいしく感謝の気持ちで食べられる。
動物性食品を食べないでいる過程もハッピーだし、
その結果として経験することも楽しい。
だから、ポジティブな我慢。


買い物もポジティブな我慢のひとつ。

田舎に移住してからは買い物といえば、一か月に一回くらいだろうか。
大体お客さんが来る前に、近くの町に買い出しにいき、まとめて購入する。
(もちろん同じ地域に住んでいても毎日・毎週買い物をする人もいる。)
手元にあるものでは足りないときは、知恵を働かせて何とかする。
何とかしようと思ってみてみると、身の周りには意外と使えるものや
違った解決策があるものだ。

東京にいた時はどこにでもコンビニやスーパーがあったから
買い物なんて当たり前すぎて、別にしてるという意識もなかった。
生活のスタイルも「あるものをどうするか」ではなくて、
「欲しいものは何か」(→例えば、有機野菜)、
「どこで手に入れるか」(→例:宅配 or 自然食の店)だった。

でもこっちに来てからは日常的にお金を使うこと自体非常に少なくて、
財布を持って外に出ることもほとんどない。
食卓を見渡すと、畑や里山から採ってきたり、
近所の人からの頂いた物ばかり。
自然に旬のもの、地元でとれるものになる。
洋服をもらうこともある。
頼めば道具だって近所の人が使わなくなったものを快くもらえる。
お金を使わない、お金から自由になる開放感。
そして自然とのつながりを感じ、隣人と共有する幸せ。

そんな私にとっては、一か月に一度の買い物は
欲しいもの(必要なもの)を買うという特別な行為となる。
買い物に行くのを心待ちにしながら、買い物リストなんか作ってみる。
何を買おうか一生懸命考えるのがどきどきして楽しい。
また、久しぶりにお金を使うから新鮮な感覚も味わえる。
欲しいものをすぐに買わずに過ごす”我慢”と
その先にある特別な喜びや充実感。ポジティブな我慢だから味わえる。

現代の生活では、ほとんど我慢することがないと思う。
だからこそ、敢えて我慢をしてみると面白い。
「耐え忍ぶ我慢」ではなくて、過程を楽しむ「ポジティブな我慢」を。
きっと毎日のありふれた生活がより豊かなものに見えてくる、
そんな気がする。
by lalalar | 2008-05-30 06:40 | 雑感いろいろ

ストレスの負の循環

どうやらストレスというものは、容易に人から人へと移転されるようだ。

特に、近い関係の人であればあるほど簡単に伝播し、共振的にひどくなる。
相手を思いやる気持ちに比例するのかもしれない。


ストレスを感じている人にとっては、辛い気持ちを
信頼している人に聞いてもらえればそれだけで十分なんだけど
聞き手がストレスの原因のことを知っている人である場合は要注意。
聞き手にとって話を聞くことがストレスになってしまい、
もともとストレスを感じていた人が次に話の聞き手になる、という
負のスパイラルが発生することがある。

それが最近、私と夫の間で繰り返されていた。
そして爆発。
昨日は負のエネルギーがたまりにたまっていて、
もうこりゃあかん!という臨界点に達した。



こういうときに一番いいのは、環境を変えること。
自分の知らない場所にいったり、普段あまり会わない人に会ったり、
スポーツをしたりするのがいい。
特に何かに集中して、現実から少し距離を置くのがいいみたい。

私は昨日、地域のソフトバレーボールの練習に初めて参加した。
男女混合、年代も30代から70代という混成チーム。
冗談交じりに会話がはずみ、試合もかなりのハイレベル。
しっかり楽しい汗を流した。
そして気分もすっきりさわやかだ。

ああぁ、これだ~

私が必要だったのは、話を聞いてもらうだけでなく、
現実と距離をおく時間が必要だったんだ。



体を動かすのが効果的だと言うけれど、
ジョギングや自転車では「頭」と「体」が必ずしも連動しない。
体を動かしていても、頭ではいろんなことを考えることができる。
だから私の場合、完全にはリフレッシュできない。

でもバレーボールのようにチームで試合をしていると、
その場の状況に集中し、体も頭も心も全て没頭する。
これが特効薬。
スポーツでなくてもいいから、
他のことを考える余地を与えないような環境に身をおくと、
ストレスはずっとずっと軽くなる。


誰かが断ち切らないと、ストレスの負の循環はとまらない。
いや、循環なんて関係なしに、ストレスがたまりにたまって、
もうだめだ!と思ったら、地域のスポーツクラブでも何でもいい。
現実と一時間でも二時間でも距離をおいてみよう。
そうすれば、きっと新しいエネルギーが心と体に満ちてくる。
そして一息ついて、もう一度、ゆっくり現実に向き合ってみよう。
by lalalar | 2008-05-29 09:59 | 雑感いろいろ

完売御礼!

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今日、村の山菜祭りがありました。
出展者は村の有志。希望すればだれでも出店できます。

なんでもやってみたい私と夫。
例にもれず出店しました。

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昨日のうちに隣のおばちゃんの山に行って採ってきた
竹の子(根曲がり竹、チシマザサとも)とワラビ、山ふき、ウドに加えて、
おばちゃんが手間暇かけて作った干しぜんまいに、
夫が朝早起きしてとってきた藤の花、ユキノシタ、行者にんにくを出品。
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おばちゃんも初めての出品とあって
何が売れるのか、売れる量目、売り方などすべてが手探り。
昨日の夜、3人で荷造りしながら相談して
どきどきしながら臨んだ結果は、完売御礼!
みなさん、ありがとう!

売れたのもうれしかったけど、
県内外からのお客さんとお話できて、本当に楽しかった。
特に、夫の発案で挑戦した「タケノコつかみどり」はすごい人気で、
お父さんたち頑張る、がんばる。
必死に指を伸ばしてわしづかみ。
お母さんたちにいいお土産ができてよかったね!

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会場では無料の竹の子汁が振る舞われ、
ちょっと大盤振る舞いしすぎ?と思われるくらい
たくさんの竹の子が入っていて、みんな大満足。
旬の味だから、今のうちにたんと食べとくれ~


ちなみに、竹の子汁の作り方は簡単。
タケノコのほかに、玉葱、人参、ネギ、豆腐など好みの野菜を入れて
最後にサバ缶かニシンを入れて、味噌で味付け。
竹の子もアクがないからそのまま一緒に煮込むだけ。
竹の子のきゅっきゅっという歯ざわり、
魚と野菜のうまみが調和して、絶妙~なうまさ!

栄村にお越しの際は、信越さかえ道の駅でも朝から食べられるので
ぜひぜひお試しあれ!

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by lalalar | 2008-05-25 20:43 | 田舎暮らし
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この2日間、ひたすら田植えしています。

今年は8畝(約240坪)に田植えをします。
全部で田圃4枚。
うち、今日までで3枚終わりました。

人によっても違うと思いますが、難しいのが
1.中腰・前かがみの姿勢を維持する。
2.左手で苗を持ち、右手で3~5株をちぎりながら、植える。

2がうまくいかないと、効率が悪くなるから1の時間が長くなる。
1が長ければ長いほど、体への負担が大きくて、能率が落ちる。
体力もいるけど、工夫しながらいかにうまく作業をこなすか
考える知恵、隣の田んぼの農民への気遣いもとっても大切。
まさしく心技体。



一緒に植えてくれている左側の人が私の農業の先生、かつ、
栄村の母がわりのY子さん。
他人とは思えないくらい私たち夫婦のことを心配してくれるのに甘えて
何から何までお世話になりっぱなしです。
(お返しをするとその何倍も頂いてしまう。ううう。)

この日も、田植えがうまくできるか見に行ってやるよ~
ときてくれてから、2枚の田んぼが終わるまでずっと一緒に
田植えをしてくれました。

まさしくゴッドハンド。
私たちの4倍くらいのスピードで、たったたったと植えていきます。
さすが集落で長年、収量・味覚ともに最高の米を作り続けている
米の作大将(さくだいしょう)と言われる人だけのことはある。
プロです。これこそ職人芸だと感嘆の息がもれてしまう。
(その間にも手を動かせ!と自分で突っ込みをいれたくなるくらい遅い私。。。)



でも、今日二日目になって、昨日よりもうまくなった気がする。
同じ面積をやっていても半分くらいの時間で終わってしまった。
要因は、難しいことのうちの2番がうまくできるようになったから。

左手で上手に苗を繰り出せるようになったので、
ちまちまと右手で苗を数えてちぎったり、
多く取りすぎて戻したりする必要がなくなった。
これ、大変に革命的なできごとです。

今日の仕事は予想よりもずっと早く終わってしまって、
なんだか物足りないくらい。
「もっとやりたいね~」なんて、夫と余裕いっぱいの会話をしてみたり。
でも体は悲鳴をあげている。
腿の裏の筋肉がつりそう。。。 あと腰もイテエ。


残りの一枚は、今月末に私たちが運営する
ワンライフジャパン One Life Japan 主催の
田舎暮らし体験プログラムに参加してくださる
日系人ハワイ人のご夫婦の強い希望で、
お二人に植えてもらうためにとってあります。

今から楽しみ。早く来ないかな♪

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by lalalar | 2008-05-24 23:07 | 田舎暮らし

愛するということ

愛するということが何を意味するのか
正直なところ私にはよくわからない。

愛するということは、好きという気持ちの延長線上に
あるけれど、「好き」の中には含まれていない要素が
入っていると思う。

それは自分にとって不都合な点、
自分がコントロールできない部分が
感情の対象となるヒトやモノに含まれているかどうか、
ということのような気がする。

相手が原因の不都合さや
自分の意思通りはいかないことからくる
苛立ち・怒り・絶望感を含めても
好きだっていえる?

チョコレートが好きだけど、チョコレートは私が食べたい時に
食べられるし、食べ方について文句も言わない。
ペットのオカメインコが大好きだけど、
私には彼らのインコ語が理解できないから何を言われても平気だし、
都合の悪い時はケージの中に入っていてもらえばいい。
(壁をかじったりそこらじゅうに糞をしたり
不都合な悪さは尽きないけれど…)

自分の意に沿わないような相手の行動、つまり
相手と自分の相違に対する自分の影響力の大きさ、
これが「愛」と「好き」を隔てる壁ではないだろうか。

愛するということは、違いを全て認めるということ。
自分がそれについてどんなに非力であったとしても。

愛するということは、自分が主役だった人生の中に
もう一人の主役を受け入れるということ。
そして、相手の全てを受け入れるということ。

愛するということは本当に難しい。
正直、私は誰も愛したことがないのではないかと思う時もある。
自己愛を超えて他者を受け入れることは
時間のかかるトレーニングを要することで、
私はどうしても自信をもって「愛する」という言葉を使えない。
きっと人生をかけて学んでいくんだろう。
そして、最期の瞬間に
誰かを必死に愛そうとしたなあと思えれば
それでいいのかもしれない。
by lalalar | 2008-05-22 06:58 | 雑感いろいろ
以前の職場では「わからないこと」を
わからないと言うことが許されなかった。

わからないことの何がわからないかを説明しなければ、
出来ない奴という烙印を押された。
わからない事の何がわからないか説明できないとき、
私の上司はいつも、目に軽蔑と怒りの炎をたたえながら
わからないことを尋ねた”愚かな”私に対して
ゆっくりと丁寧に教育的指導をほどこす人だった。

だから、わからないことがあったら
わかるように努力しなければならない。
自分の意見をいうことなしに
人の意見を尋ねることも許されなかったから
もっともらしい「理由」や「分析」を述べなくてはいけなかった。
それが、できるビジネスパーソンのあるべき姿として
私は厳しい上司のもとで徹底的に仕込まれた。

いま私は夫と仕事をしている。
昨年10月から二人だけで
田舎滞在型旅行や体験学習的なプログラムを企画する
One Life Japan という事業を始めた。

私とまったく違うビジネス経験をもつ夫は
私にとってタブーである「わからない」や「とりあえず人の意見を聞いてみる」
ということに何の躊躇もない。
私にとっては完全に想定外の行動だから
夫の発言をそのままニュートラルに受け止めるのが非常に難しい。
ほぼ反射的に”隠された意味”を深読みしてしまう。

その結果、衝突。

二人が一緒に仕事をする時間のかなりの部分が
お互いのワークスタイルの調整に費やされてしまう。

夫は言う。
大企業ではみんなが同じ思考様式になるように
研修や毎日の業務の中で人々をコントロールしているから、
いろいろなことが「すんなり」と行くのだ、と。

私たちは一人ひとり異なる人間なのだから、
お互いの違いを認めていかなければいけない。
でも夫のワークスタイルないし仕事に関する思考様式は
私にとっては全くの想定範囲外であって
寸時に理解することはもちろんできないし、
ゆっくりじっくり考えてもやっぱり合理的でなかったり
不親切に思えてしまうのだ。

以前の職場だったら絶対に首になる人材である。
でも今の私には彼を”首にする”選択肢はありえない。
その選択肢を選んだら、人生のパートナーを失うことになる。
でも仕事を一緒にする上では、本当に、真剣に苦痛なのだ。
簡単に済むはずのことをちょっと相談しようと思っても、
翌日まで待たされたり、話をするのに何時間もかかったりする。

根っこにある価値観を共有していても
それを実行する思考様式や行動様式が自分の違うというのは
わからないことだらけで、本当にストレスフルなものだと痛感する。
これをどう理解し乗り越えていけばよいのか、現在わたしは模索中。

きっとクロマニヨン人と北京原人が一緒に仕事してるのと同じだろう。
by lalalar | 2008-05-21 07:23 | 雑感いろいろ

50円玉の不思議

50円玉には不思議な存在感がある。

子どものころ、お小遣いをもらうたびにいつもそう思っていたのを
ふっと思いだした。

10円だけでは駄菓子くらいしか買えない。
かといって100円はどうもフォーマルな感じがするし、
大金すぎて気が重い。まとまったお金という感覚。

でも50円玉は、結構なものが買えるわりには
普段着の気楽さをもっていて、
発行量も少ないからかいつも財布の中にあるわけではないから
少し特別な感じもあり、なんとなく好きだった。
真中に穴があいているのも、ちょっとした魅力だった。

そんなかすかな記憶がふと蘇ってきた。
大人になって思い出したことなど一度もなかったのに。

子どものころは、今では想像できないほど
いろいろな感覚や自分だけの空想の世界をもっていた。
現実の世界に生きているだけじゃなくて、目に見えない世界や
人には話さないけれどいつも心の中にある感覚世界と
結ばれていて、それが他愛もないことを特別なものにし、
どうでもいいことが最高に可笑しく思えていたのだと思う。
子どもが野っぱらでいつまででも遊べるのは
見えているものだけではなくて、もっと広い世界に
身を置いているからではないだろうか。

子どものころに感じていたことを
少しづつでも思いだしてみたい。
by lalalar | 2008-05-20 11:46 | 雑感いろいろ

夢と現実

夢を実現するための苦労ならいとわない。

軌道に乗るまでは何年もかかる。
その間、無収入でもやりぬく意思が必要だ。


いろいろなことがいわれるけれど
まっこと、言うは易し、行うは難し。
とりわけ経済的なプレッシャーはことのほか重たい。

我が家では家計は完全に夫婦折半となっている。
全ての共有物は共同で購入し、支払った人が
あとで半分払い戻しを受けるシステム。
だから銀行口座も全て別。
自分の欲しいものは自分のお金で買い、
相手の干渉は受けない(でも批判されることはある)。

私は田舎に移る直前まで仕事をしていたし、
将来のための出資金と思って貯金してきたから
そこそこの貯金がまだ手元にある。

でも夫は数年前に仕事を辞め、
スウェーデンの大学院に留学。
その後も、開業に必要な野外教育指導員の
養成コースを受講するなど大きい支出が続いていた。
仕事をしていないから、当然に貯金が減る。

さらに田舎暮らしが始まり、引っ越し費用、
譲り受けた車の修理代、家の修繕費と支出がつづき、
開業間もないワンライフジャパンのはかない収入は
自転車などの備品購入に消え、
もっぱら生活費は貯金を取り崩してまかなっている状況。

夫の貯金はまっさかさま(らしい)。
誰からも借金はしたくないし、
できる限り副業はしないで「夢」に集中したいという夫。
そして夫のストレスはウナギ登り。。。

何をしていても隠しきれない焦りがどこかにあり、
いつも結果を急いでいるのがこちらにもひしひし伝わってくる。
新しい土地で新しい生活をはじめ、農業も始め、起業もした私たち。
新しいことずくめの私たちの生活が経済的に軌道にのあるには
二人の経験値を上げるしかなく、時間がかかるのは仕方がない。

夢を実現しつつあるとわかっていても、
でも毎日生活していくにはお金がかかる。
野菜を頂いたり、山菜をとったりするから食費は最低限で、
洋服なども新しいものは一切買わず、節約生活をしていても
車両費(田舎の暮らしは車が不可欠)、
水光熱費(浄化槽、水道、プロパンガス、電気)、
通信費(携帯、村内有線電話)、書籍や新聞などの教養費、
集落での生活にかかる費用(区費、街灯代、公民館費など)、
都会に比べて高い国民健康保険料、年金など、
文化的で最低限の生活を送ろうと思うと
現実はいやおうなしにお金の問題をつきつけてくる。

夫の気持もよくわかる。
でもひとつづつこなしていくしかないし、
やっぱり時間しか解決できない問題もたくさんあると思うんだ。
夫よりは猶予があるといっても、私だってぼんやりしてはいられない。
貯金で暮らすのはすごく苦痛だし、
経済的に安定しない限り、愛してやまないこの土地に
暮らし続けることはできない。

ここで暮らしたい。ずっと暮らしたい。
それを何とか実現するために、
二人で必死にもがいているなあ。

夢を半分実現した喜びと
夢をもう半分実現することの重さと
毎日闘っている。
by lalalar | 2008-05-19 20:41 | 雑感いろいろ