長野県栄村に移住して4年目。自給自足の農業をしながら、自然によりそって暮らす生活をつづります。 体験プログラム「ワンライフジャパン」もやってます。


by lalalar
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りんちゃんの悩み



近所にある 天然酵母のパン屋さんの愛犬、りんちゃん。

りんちゃんは いつ見ても ちょっと頭をかしげて
つぶらな瞳で こっちを見ています。

かわいい。

でも、飼い主をも 突然ガブリと噛んでしまう 不思議な子。
飼い主だけならいざ知らず 以前 近所の人を ガブリとやってしまったらしく、
それ以来 誰も近寄らせてもらえません。

何で 噛んじゃったんだろう?

あのつぶらな瞳の向こうで
りんちゃんは なにを感じているのかしら。
大好きな飼い主さんまで 噛んでしまう りんちゃんには
何か悩みがあるのかな。

りんちゃんと いつか 心がつながったらなあ・・・ 
そう思って 待っています。
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by lalalar | 2009-02-26 18:06 | 田舎暮らし


マクロビオティックという言葉も だいぶ広まってきました。

マクロビオティックという言葉を使わなくても
玄米正食、穀物菜食など 本質的には同じ または 似通ったものもあります。

私がマクロビオティックを始めた理由は 体質改善のため。
花粉症がひどくなって、生活もままならないようになってしまったとき
何かを根本的に変えなければいけないと感じていました。

当時の上司もひどい花粉症に悩んでおり、薬を服用してしのいでいたので
私も薬を飲むように再三すすめられましたが、
薬を飲んで症状を軽減することは 問題の本質を見ないで
表面的に取り繕うことになるのでは?
問題から目を背けることは 問題を先延ばしすることで、
将来に大きな負の遺産を残すことになるのでは?

そんな想いから、どうしても薬剤に頼ることができませんでした。


でも症状は本当にひどくて、眼は真赤に腫れあがり、
かゆくてかゆくて 眼をあいているのも辛いほど。
鼻炎も 夜中に息ができず 飛び起きるほどで、
日中も息が苦しくて仕事に集中することができませんでした。

数年前までは全く花粉症とは縁がなかったのに どうして?

何がおかしくなってしまったの?

自分の体だというのに、自分でコントロールできない不安と いらいらと 無力感で
大きなストレスを抱えていました。

アレルギー症状を引き起こすアレルゲンの許容量の上限に達した という説明はあっても、
その許容量を増やしたり、体に蓄積したアレルゲンを排出する方法
についての情報はなく、 対処法として語られるものはどれも
問題の本質に真摯に向き合おうとしている と思えるものではありませんでした。

そんなとき、偶然手に取った本が マクロビオティックのレシピ本だったのです。

書いてあることが今までに読んだことのある健康食、自然食の本と違っていて
人間の体のこと、現代の食生活の問題、環境の問題など
生きることを大きな視点からとらえ それに対して「便利」や「簡単」であることを求めずに
本物をみきわめながら 一歩一歩地道にとりくんでいこうとする姿勢に、ぐいぐい引き込まれました。

これなら 何とかなるかもしれない。

これ、やってみよう。


・・・

それから 食生活をすべて見直しました。
以前は昼食は 同僚と仕事の話をするために外食するか
仕事の遅れを取り戻すための時間として 
弁当を買ってデスクランチをするのが ほとんどでした。

でもこの時から ランチはすべて持参するお弁当。
玄米と野菜だけのおかず。
ほかに誰も弁当を持ってこない職場だったので 昼時はいつも一人でした。
オフィスで一人になる静寂の時間もなかなか良いものでした。
でもたまには皆と一緒にでかけたい!ということで、木曜日は外食の日と決めて
みんなにも説明して 納得してもらいました。

朝食、夕食も 毎週末まとめて作っておいて
平日は温めるだけで食べれるようにしておく。
ランチのおかずも常備菜を仕込んでおいて、平日の負担をなるべく減らす。

週末にしても 時間に追われているので 料理の時間を限定し、
一日3食当たりの食事に費やす時間が1時間程度になるような献立を立てていました。

そんな忙しいなかでも なんとかマクロビオティックを続けられたのは
体が楽だったから。

それまでもジョギングやストレッチングをかかさず、ジムでも運動していましたが
マクロビにかえてからの体の軽さは 本当に驚くばかり。
体が気持ちいいから 心も気持ち良くなる。
不思議と体力もついて 食費も外食よりずっとかからなくなって
本当にいいことづくめでした。

花粉症はといえば、すぐに治るものではないので 気長に待ちました。
途中 どうしちゃったの??!というくらい ひどく粘着質の鼻水が出た時期もありましたが
3年目から症状もほとんど気がつかない程度になり、
今年は全く症状がない状態で推移しています。

空気のきれいな山村に引っ越してきたからかも知れませんが、
近所には杉の植林がたくさんありますし、
近所にはすでにひどい花粉症で苦しんでいる人がいます。
きっと私の体が 少しだけ強くなったということかな。 そんな風に考えています。


以前は結構 厳密にマクロビオティックをしていましたが
移住後はゆるやかにやっています。
何を食べるかにこだわるよりも、
自然の恵みを最大限に生かして生きる方法に関心が移ったからです。

豪雪の北信州では、昔からジャガイモ、大根が主食のように食べられてきました。
マクロビ的には 真冬にジャガイモ(夏野菜)を食べるのは△のようですが、
長年こうして人々は命をつないできたのです。

また、冬季まで保存したジャガイモは 甘みが増し、
夏に収穫したばかりのジャガイモとは 全く別物だ という人もいます。
だから、ジャガイモ イコール ダメ ではなくて
どういう栽培・保存方法で、調理方法なのか、またどんな風土か、
他の食べ物との食べ合わせ、一年間の食事の内容、労働内容 など
さまざまな条件が 大きく影響するのではないでしょうか。

だから、マクロビの教本にあるような陰陽表は ひとつのガイドラインであって
大切なのは それぞれの生活条件にあった 食事法をみつけることだと思います。

また 自分で野菜を作るようになって感じたのは
マクロビでよいとされている食材を 必ずしも自分で作ることはできないということ。
例えば、レンコン。 泥田の中で作られる野菜で、栽培、収穫ともに重労働です。
これを個人で作るのは とても難しい。
だから わが家では レンコンは食べません。

自分で作れないものは 極力食べない。
お金に頼らずに 大地と自分の手のコラボレーションで生きていきたいから
「体にいいものを食べる」 から 「大地が与えてくれるものを食べる」 に転換したのです。

それは 消費者としてのマクロビオティックからの卒業 といえるかもしれません。

私にとって マクロビオティックは大切な師匠。

でも いまは師匠のもとから旅立って、
自分の世界を築いていくのが目標です。
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by lalalar | 2009-02-25 12:14 | マクロビオティック

受けとめられる幸せ



誰でも 誰かに 受けとめられたいと思っているのではないかしら。

話をしているとき 自分の言葉を 相手が「受け止めてくれている」と実感できたとき
ふたりのあいだに ほんわか 温かいものが生まれます。

自分を表現して、それが受けとめられる・理解される。

すごく幸せなこと。

だから 相手に「受け止めてますよー」というメッセージを送りたい。

「そうだね」と相槌を打つのもいいけれど
相手の言葉をくりかえしたり、自分の言葉におきかえてみたり。
少し意識することで 相手の気持ちが大きく変わる。

今度はそれが自分にかえってきて、お互いに幸せな気持ちを共有できる。

そうすれば 少々キビシイことを話しても
共有するベースがあるから 大丈夫。 余裕をもって受けとめられる。

あなたのこと、聞いてますよ。見てますよ。

それが嬉しくて また話をするんだね。
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by lalalar | 2009-02-24 10:59 | 雑感いろいろ
ゆっくりと自分のペースで考える時間が どれだけあるでしょうか。

一日 一週間 一か月 一年 を振り返ったときに
どれくらいの時間 時間の制約からはなれて 心と頭と体を解放し
考えることに没頭できているでしょうか。


仕事のことや 実生活のあれこれなど  必要にかられた思考ではなく
自分の内面や 世界のことについて 「思索」できているでしょうか。


私が子どものころの1970年代と現代を比べると
比べ物にならないほどに情報量が増え、
毎日 携帯、メール、インターネット、テレビなどからあふれ出る情報にさらされています。

また そういう情報を把握していることが社会的に評価され
情報をふかく思索することなく それらを取り入れ、
未消化のまま 次へと進む そんな毎日がくりかえされているような気がします。

私が東京で会社勤めをしていたときも
情報をたくさんつかみ、そこからトレンドを把握していることが
能力の高さの証明として扱われていました。
だから 自由時間まで費やして 本を読んだり、セミナーにいったり
情報収集に励んだのです。

朝から晩まで みっちりと詰まったスケジュールをこなすのに追われ
自分の頭で考え、心で感じる余裕などほとんどなかった。
そのころを振り返ってみると 当時 なにを考えていたのか、していたのか
はっきと思いだすことができません。
一年という大きな単位で大雑把には覚えていても
どんな思いや思想をもって 自分が生きていたのかという
自分の生きた軌跡をきちんとトレースできないのです。

先日父が遊びにきたときに 仕事が忙しかった40代のころの記憶が
ほとんどないという話をしていました。
クライアントを満足させるために奔走したことは覚えていても、
自分が描いた作品すら思い出すことができない と。

それはきっと 自分のこころと頭を使っていなかったから。
みずからの感性と頭脳をつかって 内部化する「思索」という過程を経ずに
生みだされる毎日は 希薄な軌跡しか残せないのです。

私が東京を離れて、一回きりの人生 思いきり生きてみたいと思った根底には
吹けば消えるような 希薄な人生の軌跡に対する悲しみがありました。
自分の人生のはずなのに 自分が生きた証しも実感もないような生き方。
他の人の名前を付ければ 成立してしまうような人生は いやだった。
死ぬときに後悔したくなかった。

だから 今は遅くてもいいんです。
効率や経済性からかけはなれていても
自分で考えて 感じて 自分の手で築いていきたい。
どんなことも 自分が生きていることを実感できる方法でやってみたい。
生きることの原点に立ち戻ることで 生きることを自らの手に取り戻したい。
そのための苦労なら 惜しまない。

そう思いきれたのは、田んぼに立って 大空を仰ぎながら
大自然のなかで汗を流した瞬間でした。
ただ ただ 気持ちよかった。 心と体がうれしかった。
それでいいんだと 腑に落ちたのです。
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by lalalar | 2009-02-23 13:01 | 雑感いろいろ


今年から薪ストーブを使っています。
ドラマ「北の国から」に出てくるようなレトロなブリキ製。
ヨーロッパ製の鋳物ストーブが流行る前から
山村では暖房と煮炊きに活躍してきました。

ストーブの上には火棚(ひだな)。
昔は囲炉裏の上にかけて、ワラグツやミノ、笠など
雪でぬれたものを乾かしたり
雑穀を乾燥保存するのに使われていました。
わが家では 解体された古民家から頂いた木の窓枠で作った火棚。
まだ干し柿がいくつかぶら下がっています。
お客さんは自分でとって食べるセルフサービス。

冬の間は畑がすっぽり雪に埋もれてしまうので
野菜はすべて保存のきく根菜と葉菜に限られます。
大根、人参、ごぼう、白菜、キャベツを中心に
晩秋にどっさり漬けた野沢菜漬を 工夫しながら食べつなぎます。
青物がない季節に少しでも彩りを添えようと
パセリのプランターをストーブのそばで育てています。

あと 大豆などの乾物も強い味方。
豆腐、納豆、五目豆、大豆バーガーなどに姿をかえ
食卓をにぎやかにしてくれます。
今年は栄村の最奥 信州の秘境とよばれる
秋山郷に伝わる「粉豆腐」(こどうふ)に挑戦です。
乾燥大豆を粉にして もち米粉と混ぜて作る 独特の行事食。
火棚の上に竹のカゴを乗せて 大豆を乾燥させています。
さて、どんな味になるかしら。

暖かい火がともるわが家の居間は
食堂、作業場、客間として 
長い雪国の冬の暮らしを支えてくれています。
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by lalalar | 2009-02-22 16:14 | 田舎暮らし

ミミダンゴを作る。

2月15日は涅槃会(ねはんえ)といって
仏教ではお釈迦様が亡くなった日といわれています。

全国各地でこの日に餅をつくって食べる風習があるようですが、
栄村ではミミダンゴと呼ばれ、上新粉のもちに大豆を混ぜて耳の形にしたものを食べます。

私も近所のおばあちゃん、友人と一緒にミミダンゴを作りました。



いまは中に入れるものも進化?して、大豆だけでなく、
山くるみ、ゴマ、青のり、桜エビ、ゆかり などなど
好みの材料を入れて作ります。

ナマコ状の形に整えたら1cmくらいにスライスして頂きます。
出来上がってすぐはそのままでも食べられますが、あぶるとおいしくなります。
さらに薪ストーブで焼いて食べれば、これまたおいしい!



その家ならではの味があり、この時期はどこの家庭におじゃましても
ミミダンゴが出てきます。 食べ比べがまた楽しい。^^

深雪の栄村では冬の間の朝食はお餅という家庭が多いようです。
わが家もしばらくは 野沢菜をかじりながら ミミダンゴを食べることになりそうです。
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by lalalar | 2009-02-21 16:15 | 食文化

大切な人

私のおばあちゃん。

じゃないけど、私のおばあちゃんみたいな存在。

大事な大事な人たち。




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by lalalar | 2009-02-19 11:36 | 田舎暮らし

豊かさの指標





The real measurement of wealth is

how much you'd be worth if you had no money.


豊かさをはかる一番の指標は

一文無しになったときに 自分にどれだけの価値があるかどうかだ。


・・・

誰の言葉かわかりませんが、つよく共感をおぼえます。

経済力とか、社会的地位とか、学歴とか、容姿とか
オブラートのように人を何重にも覆っているものを全て取り去って
素の自分になったとき、自分にはどれだけの価値があるのだろうか。


隣人として、家族として、子どもとして、伴侶として。

そして地球に生きる仲間として。


教育の現場では「心の豊かさを育てる」ために
いろいろな授業がなされているようですが、
大切なのは「自分」を見つめ直し、「自分が何なのか」を知ることだと思います。

それは、新しいものを付け加えることではなく、
私たちを覆っているたくさんのオブラートを
一枚一枚はがしていくことだと思います。

足し算ではなくて、引き算。

現代に生きる私たちに必要なのは、「引き算」の発想かもしれません。


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by lalalar | 2009-02-18 13:26 | 雑感いろいろ

穀類を食べること


去年は雑穀の栽培にも挑戦しました。

「雑穀」と聞いていくつか名前が頭に浮かぶ人もいるのではないでしょうか。
最近はごはんに混ぜて炊く雑穀ミックスが
「五穀」やら「十六穀」といって一般のスーパーにならんでいます。

雑穀は人が米を食べるようになる前から食べていた穀物。
米も、もともとは雑穀の一種で、長年改良が加えられた結果
現在のような性質に生まれ変わったのです。

雑穀には様々なミネラルや繊維質が含まれ、究極の健康食といわれたりします。

それに、栽培もやせ地や条件の不利な土地でも、
雑草のように強い生命力をたよりにしっかりと育ってくれるので、
山間地など水田にできる土地の少なかった地域では
戦後になっても雑穀が主食というところがたくさん残っていました。



去年私たちが挑戦した雑穀は、アワ、キビ、ヒエ、タカキビ、シコクビエ。
でもまともに食べられるものが育ったのはタカキビのみ。
盛夏に雑草の手入れを怠ったために、緑の洪水に飲まれてほぼ全滅。
野鳥にもしっかり食べられていました。

秋の収穫後がまた大変。
天日乾燥のために2週間くらい毎日シートやムシロの上に広げ、
日中に何度か裏返して乾燥を促します。
そして、乾燥が終わったら足踏み脱穀機で脱穀。
脱穀が終わったら、唐箕(とうみ)という風で殻と実を選別する器械にかける。
でもまだカラがついている実がかなり混じっています。
そのまま食べると、お米のモミを食べている感じ。ざらざらでおいしくない。

でもわが家には籾摺り機のような高価な機械はないし、
いったいどうしたものか。。。

そこで登場するのが、家庭用のミキサーです。
ミキサーに少量入れて、パルスにかけます。
そうするとあらあらふしぎ、カラが取れてきます。
どうしても一部の実は割れてしまいますが、大半の実は無傷です。
これに息を吹きかけてカラだけとばし、細かく砕けたカラをフルイで落として
やっと食べられるようになりました。

写真は、ミキサーにかける前と後です。
この違い、すごいです。


思えば、ミキサーがあるからこんな風に簡単に調整(食べられるように)できますが、
昔だったらもっともっと手間と時間をかけていたのでしょうね。
臼で搗いたり、ひいたり。
雑穀を買って食べればそのことに気がつく由もなく、健康面ばかりが強調されますが、
その裏には本当にいろいろな苦労があるのですね。
そんなことに思いをはせながら食べれば、味わいも深くなると思います。

ちなみに高キビ、おいしかったです!
(まだ20kgはあるので、おいおい調整しながら食べていきます。^^)
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by lalalar | 2009-02-13 09:40 | 食文化